第一話



 物事には裏と表がある。

 そのことに気付く者は、果たしてどれほどいるのだろうか。

 無知な者の、何と多いことか。

 無自覚な者の、何と多いことか。

 だがそれでいい。

 気付かぬままでいるが良い。

 いずれ無知の、無自覚の、代償を払うことになるのだから。

 裏と表を覆そう。

 それまでの全てを覆そう。

 覆したその時から、また裏と表がはじまる。




 そこは、薄暗い洞窟のような空間だった。

雰囲気的には洞窟というよりは、地下牢に近いかもしれない。漂う空気は不気味で、陰気で、そして微かに狂気を含んでいる。

 その中を、慎重な足取りで進む一匹のブイゼルがいた。その意志の強そうな瞳からは、ほんの少しの恐怖心と旺盛な好奇心とが見て取れる。よほど警戒しているのだろう、微かな物音にも敏感に反応し、周りを見渡している。それはまるで、この場の雰囲気に、狂気に飲まれまいとしているようにも見えた。

 ふいに、ブイゼルの背後に大きな影が現れた。影は自身の鋭い爪を振りかぶると、何の躊躇もなく、ブイゼルに襲いかかった。

 既に異様な気配を感じ取っていたブイゼルは、攻撃を難なくかわすと、相手に向き合う。相手は彼よりも大きなポケモンだが、彼はひるまなかった。隙をみて足払いを掛け、相手を転倒させると、得意の水鉄砲を浴びせかける。

 相手が気を失い、動かなくなるのを見届け、

「ったく・・・。またかよ。どいつもこいつも正気を失ってやがる・・・」

忌々しげにそう吐き捨て、再び歩きだす。

 その時彼は、数日前の出来事を思い出していた。

「ねぇ、シルベ」

 名前を呼ばれて彼は振り返った。

 声の主は幼なじみのジグザグマである。幼なじみは大真面目な顔でこう続けた。

「ねぇ、シルベ。さっき聞いたんだけどさ、『穴』の調査に行くって本当なの?」

 幼なじみの口調からは、まさかそんなことはないよね、という心情がありありと感じられる。

「あぁ」

しかし彼はその様子には気付かなかったように、あっさりと頷いた。

「最近いろんなところに突然『穴』ができたらしい。なんでも『穴』ってのは不思議空間なんだってな。その発生に巻き込まれた一帯は迷路みたいな造りになって中の奴らは正気を失うって話なんだ。こういうのって一回調べてみないとな」

 軽い調子で答えるシルベに対して、ジグザグマは心配そうに言う。

「やめたほうがいいよ!あそこは地図だって役に立たないんだよ?」

「おれ、あの辺りには詳しいんだ。だから問題ないだろ」

「すっかり前と様子が変わっちゃったっていうよ?」

「そんな訳ないだろ。それにおれの勘は割と凄いんだ。ちょっとやそっと変わったって迷子になったりしないさ」

「それにさ、毎回地形が変わるって噂だし・・・」

「まぁ噂だろ」

 ジグザグマは、忠告を真面目に聞かないシルベにしびれを切らして、強い口調で言った。

「だから!無事に帰って来られないかもしれないって言ってるんだよ!」

 あまりにも真剣な幼なじみの姿に、思わず彼は笑ってしまった。

「大丈夫だって。お前は怖がりだよなぁ」


 

「・・・大丈夫じゃねえし・・・」

 数日前の自分の軽口が恨めしい。

 幼なじみの忠告通り、この『穴』付近では様相が以前と随分変わり、もはや彼の見知った土地ではなくなっていた。何しろ『穴』の内部は幾層にもなる洞窟になっていたのだ。ご丁寧に階段が付いているのは有難いが、噂で聞いたように地形は何通りにも姿を変え、地図は全く役に立たたなかった。

 その上、この『穴』の周辺に住んでいたと思われるポケモンが正気を失いつつも内部をうろついていて、情け容赦なく襲いかかってくる。

 引き返そうか、と何度も思った。

「でもここまで来たからには、先に進まないとな」

 それは使命感というよりは意地だった。


 

 どれほどの時間が経っただろうか。シルベは洞窟内でも開けた空間にやってきていた。

恐らくここが、この洞窟の最奥部なのだろう。

「・・・やっとたどり着いた・・・」

 シルベが思わずそう呟いたとき、奥に誰かがいるのが見えた。

 それは一匹のクチートだった。


 

 クチートは緊張気味にたたずんでいた。

 眼前にあるのは、複雑な文様が刻まれた一枚の銅鏡である。それは、薄青色の光を纏い、空中に浮かんでいた。

 もしこのような状況でなければ、ここにはささやかながら祭壇が用意してあり、この鏡はその中心に、丁重にまつられていたはずだった。しかし現在は祭壇など見る影もなく、鏡がただあるだけだ。

 クチートはわずかに目を伏せた。

 迷いが全くないと言えば嘘になる。

 けれど、自分がやるしかないのだ。自分が今やめてしまったら、諦めてしまったら、この世界はきっと―。

 私は、そんな世界を見たくない。

 クチートは覚悟を決めた。

 この行為が何を意味するのかは、十分すぎるほどわかっている。

 間違いなく自分は命を狙われるだろう。わずかなミスが生死に直結するだろう。その結果、命を落とすかもしれない。

 しかし、それでも構わなかった。

 クチートは鏡をしっかりと見据える。そこには迷いの吹っ切れた、自分の顔が映っていた。これでいい、とそう思えた。

「これさえ、なければ」

 知らず呟いて、

 彼女は大顎を振りあげた。


 

 見知らぬポケモンの登場に、シルベはどう対処したものか迷っていた。クチートはこの辺りではまず見かけない種族であり、シルベも実際に見るのははじめてである。シルベの立ち位置からはほとんど後ろ姿しか見ることは出来ないが、その個体は伝え聞いていたよりも幾分小柄かもしれないと思った。たぶん♀なのだろう、華奢な体型をしている。そして何故か雰囲気は尋常ではなさそうだった。

 シルベが様子をうかがっていると、突然クチートが何事かをつぶやいた後、頭の後ろについている大顎を鋭く振り降ろしたのが見えた。

 その行動に不穏なものを感じたシルベは、慌ててクチートに近づき、言った。

「お前・・・何をしている?」

 クチートは突然現れたシルベに驚いたようだが、すぐに凛とした声で言った。

「あなたこそ、こんなところに何しに来たの」

「聞いているのはおれだぞ」

「どうだっていいわ、そんなこと」

「!」

 あまりにも尊大で冷たい言いように、思わずシルベはひるんだ。クチートはさらに畳みかけるように言う。

「ここは危険よ、早く立ち去りなさい」

 わかりきったことを指摘されたシルベは、ふてくされた顔をして、クチートから目をそらした。なんとなく目線は下を向いてしまう。

「・・・何だよ・・・。わかってるさ、言われなくたってもうここに用は・・・・・・」

ないんだから。そう言おうとして。

 彼はここに来た目的を思い出した。数カ所にできた『穴』の中で、彼がこの場所を調査地に選んだのには理由があった。この場所には守るべきものが、大切なものがあって、それの無事を自分は確かめに来たはずで。そこまで考えて彼は、

 クチートの足下に転がっているいくつかの欠片の正体に気付いた。彼女が先ほどした行動の意味を知った。

 考える前に体が動いていた。シルベの放った水鉄砲を、クチートは難無くかわした。

「いきなり何なの?」

クチートは、顔色ひとつ変えずに言う。対するシルベはとても冷静にはなれなかった。

「お前・・・その欠片は・・・。破壊したのか・・・守り鏡を」

「そうよ。・・・こうするしかなかったから」

 悪びれもせず、クチートは言った。その口調にはどこか余裕すら感じられる。

 クチートが先ほど破壊したものの正体―それはこの土地に古くから伝わる守り鏡だった。皆を災厄から守る、土地の象徴ともいうべき鏡を、見ず知らずのポケモンが破壊してしまった。シルベは、それを許すことができなかった。

「こうするしかなかった?何言ってるんだ。この土地の大切なものなんだぞ」

「なんで大切だか知っているの?」

「それは・・・みんなを守ってくれるって言うんだから、大切なもののはずだろ。きっとこの『穴』だって何とかしてくれる」

「『穴』?」

「この場所のことだよ。突然現れた謎の空間。おれたちは『穴』って呼んでるんだ」

「そう。ねぇもしも、」

 クチートはそう言いながら、守り鏡の欠片を一つ手に取り、その欠片をシルベにも見えるように示した。そして続けた。

「もしも、ここに『穴』ができたのが、この鏡のせいだった。そう言ったらどうする?」

 もしも、と言っておきながら嘘を吐いているようには見えなかった。シルベに対して嘲笑を浮かべているように見えるが、その目は真剣そのものだった。

 シルベは、目の前の小柄なクチートに圧倒されつつも言った。

「・・・お前、何者なんだよ」

クチートは、今度ははぐらかさなかった。凛として答える。

「私はクマリ。裏と表を取り持つ者よ」

「はぁ?何言ってるんだ・・・」

 意味のわからない肩書きを彼が問いただそうとしたとき、

 突如地面が激しく揺れた。地震か、とただ驚くシルベに対し、クマリは鋭く周囲を見回す。そして、地面にできた小さな水たまりを見つけた。それは、さきほどシルベが放った水鉄砲によって出来たものだった。

 それを見た瞬間に、クマリは地響きの要因と、自分の失態と、このブイゼルの正体とを知った。

 そして隣でうろたえるブイゼルに鋭く言い放った。

「気付かれたわ。あなたのせいよ」


 

 シルベは現在の状況をうまく把握できずにいた。突如起こった地面の振動は、地震にしては気味が悪い。それに、これが自分のせいで起こった出来事だと言われても、心当たりは全くない。罰当たりなことをしたのは自分ではなく、隣にいる見ず知らずのクチート―クマリである。

 その彼女は何が起こったのか瞬時に理解したようで、しかしすぐに何か行動を起こすことは出来ないようだ。辺りを素早く見やり、シルベには理解できない何かに対して、過剰なまでに警戒しているように見える。

「何だよ?何が起こってるんだ?」

 事態が飲み込めないシルベは、当然クマリに状況説明を請うわけだが、

「さっきの攻撃のおかげで『目』ができてしまった。危険よ。逃げなさい」

どうにも要領を得ない。というか、言われてることが欠片も理解できない。危険だ、逃げろ、という言葉だけがやけに耳に残り、混乱は増すばかりである。

「だから何だよ!説明しろよ!」

「そんな暇は無いわ。早く逃げて」

言うが早いか、クマリはシルベを思いきり突き飛ばした。

 突然のことに受け身をとり損ねたシルベは、気がつけば最奥部の入り口付近に転がっていた。こんなに豪快に吹っ飛ばされたのは久しぶりである。シルベは、思わず舌打ちし、何の説明もなく自分を突き飛ばしたクマリに文句を言おうとした。

 その刹那。

 地面の一点を中心として、何かが現れた。

 闇より深い色をした、いびつな翼を持つ、巨大な体躯。しかしそれは実体はここに存在しない、言うなれば影だった。

 黒い影は何かの姿を構成するように蠢くが、はっきりと像を結ぶことない。

 一目見て戦慄するような、得体の知れない存在を目の当たりにして、シルベの思考は完全に停止した。何者なのか検討もつかなかったし、そもそも検討しようとも思えなかった。

 影は、不気味に光る深紅の瞳で、クマリを睨んだ。クマリはその視線を正面から受け止める。

 やがて、影が言葉を発した。

『クマリ、貴様・・・裏切ったな』

 声には失望と怒りとが滲んでいる。

「・・・そうなるのでしょうね。でも私は、これが間違いだなんて思わないわ」

 対して、クマリはあえて感情を消した声で応じる。ひるむ様子は微塵もなかった。

『・・・愚かな奴だ、もう止められやしないというのに・・・』

「愚かだなんて思わないわ。それに私は、」

 クマリは一度言葉を切ると、不気味な存在をしっかりと見据え、言い放つ。自分にも、言い聞かせるように。相手に、決意と覚悟が伝わるように。

「私は、あなたを止めてみせる。必ず」

 影はクマリに気圧されたように、わずかに目を伏せた。しかし次の瞬間には、影もまた何かを決めたように、再びクマリの視線を受け止める。

 そして、言った。

『いや、できはしない。ここで、お前を消す』

 影が抱える負の感情が膨れ上がるのを感じたシルベは、思わず二匹の間を遮るように水鉄砲を放った。

『!?』

 影が息をのむ気配が伝わる。

 その隙に、シルベはクマリの前に立つ。全身の毛が逆立つのは抑えようがなかったし、虚勢を張っているのはばればれだろう。それでも、シルベは一歩も引くまいと勇気を奮い立たせた。

 クマリがわずかに取り乱した声で言う。

「馬鹿ッ!逃げなさいって言ったじゃない・・・!」

シルベはちらりと後ろのクマリを見やると、また視線を前に戻した。

「お前、何か知ってるだろ。教えてもらうまで引き下がるもんか」

「そういう問題じゃなくて・・・」

 クマリの声には苛立ちと非難が少なからず含まれていたが無視を決め込み、シルベは影と向かい合う。

 影はシルベを見て、一瞬だけ興味深げに目を細めたような気がしたが、思い違いかも知れなかった。すぐに彼を見る目は酷薄なものへと変わったからだ。

『仲間がいたか・・・。まぁいい。貴様から先に始末してやる』

 影は、静かに告げた。

『貴様も、もはや用のない存在だ』

 まるでずっと前から彼のことを知っていたかのように。しかしそれももうお仕舞いだというように。

 告げられた予想外の言葉に、思考が止まる。注意がそれる。

 影はその一瞬を見逃さなかった。

 刹那。

 誰かに、背中を押されたような気がした。

 だから何度も危険だって言ったんだよ、シルベ。

 君が、もっと素直だったら良かったんだけど。

 あぁ、でも、そんなところが―。 

 

 どれくらい経っただろうか。

 気がつけばシルベは洞窟内に転がって、じめじめとした天井を眺めていた。

 頭がうまく働かない。

 さっき聞こえたのは、誰の声だったんだろう。

 自分を心配してくれていた幼なじみの声だろうか。話をちゃんと聞いていれば良かったと後悔したから、走馬燈の如くあんな言葉が聞こえたのかもしれないな。

 そう。ちゃんと忠告を聞いていたら死なずにすんだのに。・・・あれ。

 そこまでぼんやりと考えて、シルベは自分が生きていることに気がついた。

 慌てて起きあがり、自分の体を確かめる。間違いなく無事だった。

「・・・?今攻撃を受けたはずじゃ・・・」

 たしかに黒い影は自分に向って攻撃を繰り出していた。自分は何も出来ずにただそれを見ていた。

 しかし、シルベは生きていて、しかも無傷だった。

 唐突にシルベはもう一匹の存在を思いだした。背中を押して、攻撃から自分を守ってくれたのが彼女だったとしたら。その後攻撃をよける時間は無かったはずだ。つまり。

 シルベは辺りを見回し、探していたポケモンを見つけた。

 少し離れた所にクマリが倒れていた。

 見たところ、目立った外傷があるようには思えなかった。しかしクマリはぐったりとして、動かなかった。

「クマリ・・・?・・・まさか・・・おれを庇ったのか・・・?」

 声をかけても反応がない。最悪の事態が頭をよぎる。とにかく生きていてほしい一心で、シルベはクマリを揺する。囁くような呼びかけは徐々に声が大きくなり、ついには大声で叫んでいた。

「おい・・・クマリ!?・・・・・・クマリッ!?」

「・・・う」

 クマリが小さいながらも反応を見せた。しばらくして薄く目を開ける。シルベを見て、心持ち不思議そうな顔をした。

「おい、大丈夫か。起きられるか」

 クマリは小さく頷くと、大儀そうに上体を起こす。動作はぎこちないものの、やはり大した怪我はなさそうである。

 ちゃんと生きてた。

 シルベはようやく心の底から安堵した。

 というか普通に呼吸を確認すれば良かったのではと今更ながらに思い至るが、まぁ、後の祭りであった。安堵と照れによる赤面を隠すように、シルベは毒づいた。

「まったく、おれなんかを庇いやがるからそんな目に遭うんだよ。危ないとか逃げろとか言ってる場合じゃなかっただろ」

 すぐにクマリの鋭い反撃がくると思った。

 しかし、クマリは怒る様子も反省する様子もなく、ぼんやりと辺りを見ており、シルベの文句など耳に入っていないようだった。

 その様子に若干の違和感を覚えたが、シルベはとりあえず先刻起こった出来事の説明を求めることにした。

「なぁ、大丈夫だったら、教えてくれよ。なんで守り鏡を壊したんだ?あいつは何者なんだ?」

シルベが矢継ぎ早に質問を浴びせる。せっかく無事だったのだから、ここは説明をしてくれていいはずだろう。

 すると、クマリはいまいち焦点の定まらない目でシルベを見た。そしてようやく言葉を発した。

「・・・君は誰なの?」

「・・・そうか、そういえば名乗って無かったな。おれはシルベだ」

クマリはシルベ、と反芻するように呟いた。

「ねぇシルベ。ここは、どこなの?」

「おいおい、しっかりしろよ」

 どうしたんだよ急に、と笑い飛ばそうとして、クマリが至極真面目な顔をしていることに気づいた。真剣に聞いていることがわかった。

 先ほどまでのクマリとのやりとりを思い出す。彼女はこの場所を知っていたはずで、守り鏡についてわかっていたはずで、黒い影の意図を読んでいたはずで、つまりは自分の知りたかったことを全部把握していたはずで、ここがどこかなんて聞くまでもないはずで。

 つまりは、

「・・・まさかこれは、おれのせいなのか・・・」

 それがわかったところで、自分はどんな反応をすればいいのだろう。

 クマリは、そのようなシルベの心中を知ってか知らずか、決定的なことを告げた。

「・・・私、何も覚えてないの」

 何の感情も感じさせない、静かな声だった。ただ、ありのままの、どうしようもない残酷な事実だけを、シルベに伝える。

「私、何も思い出せないの」

 この瞬間頭が真っ白だったのは、間違いなくシルベの方だった。



 
 



デレないツンを貫く(予定)のクマリと馬鹿でまっすぐなシルベの物語、はじまりはじまりー。

オリジナルとか言っておきながら、世界観はポケダンとポケモン映画を参考にしております。
ポケダン二次創作なんです。

背景が他と違うのは仕様です。他と違った感じを出したかったものでして。


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